神様がくれた腰痛

執筆者 | 10月 8, 2016

EU出身の50代男性、Cさん。
20代で発症した腰痛に今も悩まされており、年に1、2回は全く動けなくなるぐらい痛むという。
本人は「近年の腰痛は、運動不足が原因だろう」と言うのだが、聞くと職場まで数キロの距離を、競技用の自転車で往復し、週に3度はジム通い、週末にはトレッキングと、運動不足どころか、むしろ運動過多では?と思うほどであった。
そのくらい体を動かさずにはいられないCさんの昔からの夢は、スポーツのインストラクターになることだったらしい。
しかし現在は心理カウンセラーを生業としている。腰痛がきっかけで今度は相談する側となり「不思議なものです」とご自身で言われていた。

不思議な腰痛

そんなCさんの腰痛がまた不思議なもので、施療の途中で痛みの出所がアチコチと変わるのである。腰痛という訴えなのだからと、その心で施療にあたると、驚かされることになる・・・
突如腹痛へと変化したり、足に痛みが移ったりと急変するのだった。
ある日は、腰痛が楽になったと、笑顔で来院され、二人で喜びの中、施療に入ったのもつかの間、頭痛とめまいに襲われ慌てたことがあった。
Cさんの症状は、表現するなら、得体の知れない何かが、施療の手を逃れようと体内を動き回っているかのようだった。邪気の排出の過程で、邪気の動きと共に症状が移動する事は多々ある。だがCさんの場合は変化が急なうえに、尚且つ大きな移動を見せる。
こう言うと何だが、まさに“あまのじゃく”な反応が起こる。
しかし、どんな理由があれ「少しでも楽になって欲しい」という願いを持ちながら、痛みの根源を見抜き根治出来るよう集中する、気の抜けない施療がしばらく続いた。

腰痛の奥にあった思い

ある朝、Cさんから連絡があり、良い変化が続いているという。
長年悩んでいた便秘が改善しつつあるとのこと。そのお陰か、目覚めた時の腰痛が軽くなっているとのいい知らせだった。
さらに次回の施療時に直接話したいことがあるとのことだった。
そしてその施療時に彼から伺ったのは、腰痛のきっかけかもしれないという、Cさんの父親の死と、その父に対する思いについてだった。
幼い頃から、父親の気持ちが読み取れなくて距離感を感じた事はあったが、愛していた。その父が、病に倒れ、あっけなく亡くなって、その喪失感はとても大きなものだった。
悲しみののち、間もなくして、腰痛をおぼえるようになったという。

父との再会

亡くなった父親の年齢に近くなった自分が、心理カウンセラーでありながら、ここで、息子のような年齢の人からアドバイスされたり、関わってもらうようになった。
その中で、当時の父の心境が理解出来るような気がしてきた、と話してくれた。
「そういえば、昔、父は事あるごとにジョギングをしていた。もしかしたら今の自分と同じように、何か悩みを持ちつつも、それに立ち向かえず、体を動かすことでその悩みをごまかしていたのでは・・・」
「もしかしたら、父は息子である私も、体を動かさずにいられないのを見て、自分と同じような方法で悩みをごまかしているかもしれない、と心配してくれていたのでは・・・」
「もしかしたら、その時に父の抱えていた悩みは、今の私が抱えているそれと同じものなのでは・・・」
Cさんの体調は、明らかに改善していた。腰痛は消え去った訳ではないが、いつ痛み出すか分からないという怖さは無くなったと言われた。
そして、母国の姉の引越しを手伝うため、一時帰国するという。
「僕の痛みは神様がくれたものだと思う。この痛みが無かったら、心の中で父と再会することは出来なかった。また、姉とも死ぬまで会わなかったかもしれない。」
彼は少し恥ずかしそうに笑って、そう言われた。

野本自由 (京都・日本)