引き籠もり体験,更に道に迷い、ようやく信心。

執筆者 | 2月 5, 2015

先日「、、、だけど、考えみたらさぁ「使命に生きる、」といっても、やっぱり、命(=神仏)に信仰が無い人が、神様のお使い(=使命)になるのは、ちょっと無理かも、。」と、喨及師が洩らしていらした。


神仏に対して信仰心が芽生えるのは、どんなきっかけなんだろう。人によっていろいろだろうけど、
自分のことを言えば、二十歳の頃、住んでいた西武新宿線の野方にあった新田荘の三畳一間に住んでいた、あのころだった気がする。


その頃は演劇とバイト暮らしで、何もない日は、新宿のジャズ喫茶にコーヒー一杯で3、4時間、入り浸る。あとは、新宿の町をほっつき歩いた。ここでも無い、そこでもない、あっちでも無い、、向こうも同じだ、、うろうろ道を彷徨い疲れると電車に乗って野方に戻る、そんな生活だった。


その内、部屋の明るさが気に入らなくて、光が一切入らないように、窓ガラスを全部、黒いビニール製のゴミ袋で覆ってしまった。一ヶ月近く暗闇の部屋で引き籠り生活。

 

 

久しぶりに眩しい外に出たある日。ふらふら散歩し、たどり着いたのは野方駅前の古本屋。


本棚を眺めていると、あるタイトルに目が吸い寄せられた。「光あるうち、光の中を歩め」著者はトルストイ。


一切、光を拒絶していた自分とは裏腹に、無意識に手が本に伸びて、あっという間に奥に座ったおじさんに金を渡し手に入れた。。


この言葉は、新約聖書の中にあるイエス・キリストの言葉だった。ヨハネの福音書の12章35節から36節にかけての言葉。


イエスは言われた。「光は、いましばらく、あなたがたの間にある。暗闇に追いつかれないように、光のあるうちに歩きなさい。暗闇の中を歩く者は、自分がどこへ行くのか分からない。光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい。」



引き蘢りの時は自分から闇に埋もれ、自分の内に光が存在するなんて信じらない。。



しかし、その本を買ったのは、無意識に、光へのあこがれ、救われたい、神様の存在を信が、まだ残っていたからだろう。