なぜ「型」を学び、「型」に従う必要があるのか?

執筆者 | 6月 10, 2017

「型」を学ぶことによって、自分の我(エゴ)に気づくことが出来るから。

「型」に従えないのは、我(エゴ)があらわれていることだから。

 

タオ指圧入門修練コースでは、指圧の練習として「基本手技レベル1」と呼んでいる基本の型を学びます。

もっとも入門修練コースでの指圧の手技の練習はカリキュラムの一部で、その他に氣を練る体操や氣を感じるワーク、お互いのコミュニケーション力を磨くトレーニングなど、さまざまなことに多くの時間を費やします。

とはいえ、指圧の手技においても、学ぶことはたくさんあります。

心の状態は? 超脈は? 超穴は? 方向は? 深さは? などなど。

それらを統合して、氣の技法としてツボに触れるのがタオ指圧の基本手技です。

基本手技は、それらすべてが「型」のなかに含まれています。
だから、実はもっとも難しい技と言うことも出来るのです。

古来より、武道にしても、茶道、書道などにしても「型」を習得することを大切にしてきました。

「型」が大切なのは、その中に先達の智慧と技術が集約されているからです。
そして、長い時間をかけて練り上げられた所作は、もっともシンプルでもっとも効果的な動きとして完成しているものであり、そこに道の精神が宿っているのです。

タオ指圧の基本手技も同じです。

ひとつひとつの「型」の中に、そのときの一圧に必要な要素がすべて表現されています。

 

 

 

 

 

 

 

<以下は『気の経絡指圧 安らぎのツボ 実技篇』(遠藤喨及著・講談社α新書)より引用>

「したがって、それらの型を反復練習することによって、先人たちと同様の精神的、技術的境地に至ることが出来るのである。

また型は、太極拳のそれを見てもわかるように、全体で一つの流れを形成している。それゆえ、型は、これをそっくりそのまま継承することが大切である。

ところが、生徒さんたちの中には、基本手技の型を自己流につくり変えてしまう人が、時としてある。しかし残念ながら、そのような人は、例外なく技術的な進歩が途中で止まる。

なぜなら、型の一つ一つは、全体としての石垣を形成する一つ一つの石のようなもの。一つをずらせば、全体が崩れてしまう。

型もまた、単なる部分の集合ではない。それは流れであり、全体で一つのものである。同時に、その一つ一つがそれぞれに、臨床的な意味を担ってもいるのである。

(中略)

もちろん、全身指圧の基本型は「型にはめられた」指圧をおこなうためのものではない。

型を学ぶことによって、むしろ型を超えた自在の境地(すべての所作から作為的なものが抜け落ちて、無為自然な行為となる)を獲得することを目的としている。」

 

 

 

 

 

 

 

 

さらに、「型」を学ぶことを通して、私たちは自分の中にある無意識の癖やパターンを知ることが出来ます。

教えられた通りの「型」を実践するほうが、はるかに自然で無理ないものであるにもかかわらず、「型」と違ったやり方をしてしまう心の状態のなかに潜む自分の我(エゴ)は、一体何なのか?

それを内観して明らかにしていくプロセスが、タオ指圧の修養には不可欠なのです。

同時にそれは、自分自身のあり方が道と一つになっていき、本来の自由性を知ることでもあるのです。