北の国、霧多布から来院

執筆者 | 12月 2, 2015

先日、北海道厚岸郡在住の武士(たけし)聡さんが、タオ療法を受けに来られた。

武士さんは奥さんと二人で「食の宿・霧多布」という宿を経営なさっている。
下記の通り、宿主の武士さんは、30数年前に北海道の虜になり、霧多布湿原に移住し現在に至っている。奥さんは、なんと、数年前から厚岸郡からタオ指圧を学びに来ている。
「主人は、移住してから長年、働きづめなんで、私がタオ指圧を学んで少しでも楽になってもらえたら(笑)」と、タオ指圧を学びに来始めた頃、健気に言ってたのを思い出す。宿のホームページを見て、いつか霧多布に行きます、と奥さんと約束した。
まだ約束を果たせていないが、FBを見るだび、行きたくなる。聡さんの心ずくしの海鮮料理、それと、白い米、白砂糖、白い塩、白い味の素、を使わない寿司を想像するだけで楽しみだ。
もし、北海道の旅を考えている方、一度、武士夫妻が創る心温まる宿「食の宿・霧多布」へ立ち寄ってみませんか。
★ホームページ
 ★宿主 武士 聡
五十数年前、東京の三鷹で生まれました。
四歳から、田無町(その後、田無市・西東京市)で育ち、谷戸小学校・田無二中に通い、
どうしても通ってみたかった、石神井高校を受験して、何とかぎりぎりに受かりました。石神井高校時代に、蒸気機関車を追っかけに北海道へ来ているうちに、すっかり北海道の虜になり、一番北海道らしさを感じて、ここに住みたいとまで思った、この地『霧多布湿原』に移住して、早三十数年が過ぎました。
1981年に『霧多布里』を始めてから、前半の時期は、バブル期ということもあり、溢れるばかりのお客さんに恵まれました。後半は、だんだん落ち着いて、移住してきたことでやりたかったことにも、じっくり取り組める時間を持てるようになりました。そうして、今は、自然たっぷりの生活を、満喫して楽しんでいます。小学生の頃から、出前を楽しみにしていた、橘寿司でアルバイトしたことが、
大きく北海道への移住に結びついたと思っています。
アルバイト代は、北海道の旅の資金となっていました。そのおかげで、数回北海道へ訪れることが出来ました。ここに住むために選んだ宿という仕事を、必死に考え、
橘寿司ですっかり美味しい物を知り、食いしん坊になった私は、
とにかくおいしいものを出来たてで、提供することを考えました。自分一人で、出来立ての食事を、という想いを実現する方法が、
目の前で寿司を握るということでした。

とにかく、まだ不慣れだった、握り寿司を握り始めました。
思った以上に、多くのお客さんに寿司を喜んで頂き、
何とか今まで宿を続けています。

一般的に、『銀シャリ』である寿司飯は、

白い米、白い砂糖、白い塩、白い味の素で出来ています。これは、食の改善を考えていた私には、
使いたくない食材でした。

いろいろ、思考を重ねて、今は有機栽培米の七部搗きを、
浜中昆布を入れて炊き、天日乾燥の海水塩と上質の酢で合わせいます。
その結果、『金シャリ』となり、飽きのこない寿司飯となりました。

 

 

霧多布里を始めてから、いろいろな霧多布産の食材を使ううちに、
霧多布の素材の素晴らしさを、どんどん理解していきました。

橘寿司で、すっかり食いしん坊になった私にとっては、浜中の食材は堪りませんでした。
どれもこれも、生かしたいような材料ばかりです。

一時期は、玄米菜食が良いと思っていました。
しかし、長く玄米を食べていると飽きるので、
白米と玄米の中庸の胚芽米に、麦や稗、粟、黍を混ぜた五穀米がいいなと変えました。

また、うちの二人の祖母が、肉好きで、100才越えをしています。
これは、肉が悪いのではなく、肉を消化できない胃腸になっていてはいけないということかなと思っています。

そこで、霧多布里では、何でもバランスよく、消化吸収排泄を重視した、食事を考えています。
美味しく食べて、たっぷり出そうです。

以前読んだ、『いのちに触れる』という本から、いのちの大切さを感じるために、
鶏や豚、羊などを飼い始めました。

肉の燻製、毛を紡いだり、陶芸をしたり、豆腐や味噌を作ったり、
畑を耕し、山菜を採り、貝を拾い、など、
手の指紋が10本とも、巻いている渦状紋なことが影響しているのか、
自然の中の生活があっています。

一般的に言われる、「地球に優しい」という言葉には違和感を感じます。
「地球がやさしい」からこうして生きていられるのかなと思うからです。
最近、ちょっと厳しくなっているかも。

そういうことを感じることが出来る生活をしたいと思って、ここへ移住しました。

私の人生には、多くの素晴らしい人たちがいます。師匠も、先生も、友達も、仲間も・・・・

でも、最大の人生の師匠は、自然です。

私の師匠に逢いに来てください。