友人

執筆者 | 9月 19, 2016

りょうきゅう先生の友人で、印刷関係の仕事を依頼する、大平さんという方がいる。

りょうきゅう先生の昔からの知り合いというか友人は、みんな人がよくて、独特の雰囲気が出ており、とても親しみがある。

紹介していただき、大平さんと初めて会ったのが7年以上も前。

タバコのにおいで充満された、6畳ほどの部屋で、お客さん用と思われるパイプ椅子を出してきてくれて、パソコンの前に座って仕事の話をする。部屋の周りは書類や本、印刷機などで埋め尽くされていて足の踏み場もないぐらい。

仕事の話をする前に中東の話がほとんどで、中東の話が1時間、仕事の話が10分、その後脱線する話が30() 会う度にそんなパターンだったので、大平さんと会う時は時間を多くとって会っていた。

最初は、写真の画素数がないから印刷に使えないとか、色が悪いとか、諸々の注文をつけられたりしたが、1年、2年と関わっていくことで、大平さんと仲良くなっていた。

家(職場?)に伺う時は、いつも「いまから行きますけど大丈夫です?」と直前アポをとって伺っていた。

たまにどうしているか仕事のことと関係なく電話をしたりもした。

 

その大平さんに、ふと電話をしようと思ったので、電話をした。

寝起きのような声かと思うと入院しているという。「え!いつからですか?」8月のはじめからのようで、肺がんでステージ4とのこと。

指圧を受けにきてくださいね、と言って、別れたのが6月。

電話越しに「きてくれ。」と言ったそのあとの後の声は聴きとりにくく何度も聞き返した。

 

翌日の午前中にお見舞いに行った。

大平さんは入院しているうちに弱っていったという。この数日で急激に悪化したとのこと。

「タオ指圧を受けにきたらよかったのに

と言うと、横になりながら、うん、うんと頷いていた。

入院したことを後悔されていた。

りょうきゅう先生と一緒に作成したという「経絡図」の話をすると嬉しそうにされるのだが、病院でも嬉しそうにしていた。

手を握り、しばらくしてから、「アースキャラバン東京が終わったらまた来るので、元気にしててくださいよ」

と言って病院を後にした。

りょうきゅう先生のことはいつも気にされていた。

 

翌日、時間をつくり、再度、午前中にまひろさんとお見舞いに行くことにした。まひろさんもお世話になった一人である。

病室に行くと、外出しているのかいない。パソコンもないので、フロアで仕事をしているのかな?と思った。というより思いたかった。

廊下を歩いている看護師さんにどこに行ったかを尋ねると、少し困ったようでどういう関係かを答えた後、早朝に亡くなったことを聞かされた。

昨日会っていただけに、あ然となった。

安置所に行き、亡くなったことを受けとめるしかなかった。

 

そして今日、お通夜の変わりにお別れ会があった。病院の安置所とは違い、きれいな安らかな顔をしていたので安心した。

 

大平さんは、自分の父親の年齢よりも上だったが、そんなことは関係なく友人であった。

大平さんにとっても友人であったのだと、亡くなる前日、病院で接した30分の時間でそう思った。

 

帰り道の自転車で、タバコのにおいが、ふわっとした。周りには誰もいない。
気にせず、自転車で進んで行くと、しばらくしてまたタバコのにおいがした。
誰もいない。
大平さんが来たのだと思った。