夏、パレスチナ、ビリン村での妄想

執筆者 | 9月 7, 2016

前回のブログに投稿した、映画「5つの壊されたカメラ」の舞台、パレスチナ西岸地区のラマッラー市から西に10数キロに位置するビリン村を8月にアースキャラバンの仲間たちと訪ね、初めてデモに参加した。

映画「五つの壊されたカメラ」で見れるように、兵士たちは催涙弾やゴム弾を撃ってくるから、と既にデモ体験されてる喨及さんに聞いていたのでゴーグルやマスクをして臨んだ。

昼過ぎ、村人やイスラエルや海外の活動家とデモのスタート地点に集まった。

そして、シュプレヒコールをあげ、100メートルほど先に待ち構えるイスラエル兵士の壁に向かった歩き始めた。

15分ほど歩いたか、もう10メートル先には銃をぶら下げた兵士たちが2列で横並びに立っているところまできた。

ざっと、15、6人くらい居たろうか、中には女性兵士も居た。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ビリン村の人はほとんど農業で暮らしを立てていた。

ところが、村の農地の半分も略奪され分離フェンスが造られ、自分の農地に行って耕すこともできず、多くの人が貧困に突き落とされた。

残った土地ではビリン村の人々全員の暮らしを支えることができない。ヨルダン川西岸地区には仕事もなく、他の街に出稼ぎに行くこともできない。

西岸地区に住むパレスチナ人がイスラエルに行って働けるなど、ごく一部の許可証を持っている者だけ。

何世代も前からビリンの土地と共に農業を生業としてきた村人はとことん話し合い

3つの案が出たという。

1つ目は、村を捨てて海外に出稼ぎにでも行く。

2つ目は、ギリギリの貧困に我慢しながら村で生活をしていく。

3つ目は、イスラエルに略奪された土地を、皆で団結して取り戻す。

村人達は、3つ目を選択した。

それから、団結して村の闘いは始まった。

イスラエルや海外の平和活動家とも連携し、分離壁の違法性を国際司法裁判所でもイスラエルの最高裁判所にも訴えた。

そして、「ビリン村の分離壁ルートは当初の予定と違っている、違法だ」と認め、イスラエルに対し、分離壁ルートの見直しの裁決を下した。

しかし、そんな判決はイスラエル政府にとって、蚊に刺された程度なのだろう、シカトした。が、ビリンの人たちにとっては、生き死にがかかっているのだ。

自分たちの土地を取り戻すまで非暴力抵抗運動のデモは毎週金曜の礼拝後に10数年続いている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

先頭集団が兵隊の5、6m先まで近づいた、、、(OK!、、もう、そこでストップだ、それ以上は止めとけ、、わかってるだろ)、、そんな兵士の無言の声が聞こえた気がした。

丸腰姿の我々は、それに従うしかない。そして無言のにらみ合いが始まった。

それにしても、暑いだろうに、兵士たちは、この炎天下の中、分厚い軍服を着てデモ隊を抑えなければならない。

もう、いい加減、洗脳から覚めて、大げさな軍服を脱ぎ捨てようぜ。

Tシャツ一枚になってさ、そんでもって村人や同胞のイスラエル人平和活動家や、そして海外の活動家たちと一緒に涼しい木陰でオリーブをつまみながらビールでも飲もうぜ。

そんな妄想がふくらんでくる。

時々、後方から「free  free  palestine!!   free free  palestine!!」とシュプレヒコールが聞こえてきた。

にらみ合いが続く中、先頭集団から2、30メートルくらい後方から、叫び声が聞こえてきた。

振り返って見ると、赤い野球帽をかぶった村のおじさんが兵隊に向ってさけんでいた。

その声と姿に気付いた隊長らしき男が、怒鳴り散らす。

デモの後で翻訳してもらったら、そのオジさんは数週間前のデモで逮捕されて解放されたばかりだった。

また姿を見せたので隊長は「おまえ、また来たのか、またブチこんでやるぞ〜!!」と言っていたとのことだった。

ジリジリと長い睨み合いが続いてた。と、その時、兵士とデモ隊の間で撮影し続けるSさんが僕に近づき涼しい顔して訊いてきた。

「友信さん、アレ、歌わないの?(あれとは、アースキャラバンのテーマ曲“SHARE!!”の替え歌“♩Be  Free  pa〜lestine 〜♩pa〜lestine  Be  Free  〜♩のこと。) 」

Sさんは僕の心を読んでいた。もちろん歌いたいのは、やまのやまで、歌いたくてウズウズしていたのだ。

「そりゃあ、歌いたいよ、俺だって、、!」そこへ、反対側の居たNさんが参加してきた。

「連行されてもいいなら、どうぞ。」と。「いやあ、大丈夫でしょ!」すかさずSさんが返す。

「キャラバンに影響する可能性もあるし、ここは止めておいた方が賢明でしょう。」と大人な対応のNさん。

間に挟まった僕はオロオロ。連行されたら、どうなるのだろうか妄想していた。

「お前は、どこの国から来た?」

、、ジャパン、、、(あっ、ゴーグルはずされて写真を撮られたら、来年以降、イスラエルに入国できなくなるな、。)

さらに妄想は加速した。銃を突きつけらながら、いろいろ尋問されて、ビビって保身に走り、、ついアースキャラバンのことも喋ってしまった、、裏切りものだ!、、そしたら来年以降アースキャラバン中東が開催できない!!

妄想から覚めて「、歌えない、、」とSさんに伝えた。多分、失望しただろう。

兵士たちへの無言の圧力は小一時間程で終わった。

そして兵士の壁を背にし無言で歩きながら、無性に、このまま帰るのは情けねえじゃねえか?!と、もう一人の私がささやきだした。

そして、まだ後ろに居るだろう兵士たちに届くように、兵士の洗脳が0、00001ミリでも溶けるように、歌った。

♩Bee  Free  pa〜lestine〜♩pa〜lestine  Bee  Free  〜

少しは気が晴れた。近くにいた、Nさんも歌った。そして、前を歩いていた、おじさんがメロディを追うように歌ってくれた。

 

嬉しかった。その人は、テルアビブから毎週デモに参加しに来てるというイスラエル人だった。

今は、イスラエル人がパレスチナに入ってくるのは容易ではない。

何が大変かって、バレたら5000ドルだったか、とにかく、えらい罰金を払わせられるのだから、それは相当な覚悟で来ているに違いない。。

帰国後、妄想した。

来年、またビリン村のデモに参加する機会があったら、デモが始まる前に村人やイスラエルや海外から来た平和活動家たちといっしょに、♩Be  Free  pa〜lestine~を練習する。

その後、みんなで歌いながらピースウォークする。

そして、兵士たちの前で、♩Be Free  pa〜lestine 〜♩pa〜lestine  Be Free  〜さらにさらに♩Be  Free Israel 〜Israel  Be  Free〜を大合唱する。

もしかしたら、声に出さずとも、一人の兵士が、心の中で歌い出す者がいるかもしれない。

そんな兵士が一人でも現れたら、大成功だぜ。