パレスチナ「テント オブ ネイションズ」の設立者ダハールさん

執筆者 | 8月 20, 2015

8月8日。
アースキャラバン中東、3日目は、キリストが生まれた地、ベツレヘムの南西の外れにある“ナハリーン”にある農場〜テント オブ ネイション〜を訪問。現在、イスラエルに占領されて、その地に残るパレスチナ人が住む土地は、Aエリア、Bエリア、Cエリアに分けられている。B、Cエリアはイスラエル軍の統制下にあり、Cエリアでは存在さえ否定されている。
 ナハリーンはCエリアにあり、そんな苛酷な地で生きるナサール家を訪ねた。当主ダハール・ナサールさんは、亡くなられた祖父の遺言「この地は平和のために使ってくれ」を守るため、“テント オブ ネイション”を設立した。
バスから降り、坂道を10分ほど登ると、テントが見えてきた。見晴らしのいい丘のてっぺんにある母屋は、風が吹き渡る、気持ちよい場所にあった。だが、周囲を見渡すと、そこには真新しい家が立ち並んでいる。イスラエル入植者団地群だった。
1900年初頭より、祖父が在住するが、住宅建築許可がおりないため、洞穴生活から開始、。その後、オスマントルコより土地購入、所有証明も発行されるものの、しかし、イギリス、ヨルダンと占有が変わるたび、所有証明を発行してもらっていた。
イスラエル政府は、入植者評議会の要請により、ナハリーン農場の没収を命じた。祖父が購入したことを証明する書類があるにもかかわらずである。多くの人は、土地所有を証明するものがなく、離れていかざるを得なかったが、ダハールさんは証明書があり所有権を主張できるから、法廷に持ち込んだ。しかし、裁判所も、あっさりダハールさんの所有権を認める訳にもいかず、現在も裁判は続いているそうだ。
その結果か、入植者達から数々の嫌がらせを受け続けることになったという。夜ごと、入植者が入れ替わり、農場に侵入し、樹を伐採する。ある時はオリーブの木を250本、根こそぎ引き抜かれた。道にゴミを廃棄される。通行の妨げになるほどの大きな石を置かれる。電気、上下水道へのアクセス禁じらている。従って、灯りは自家発電機、水は冬期に溜めてある雨水のみである。
イスラエル軍はそんな嫌がらせにも屈しないナサール家に土地売却の話しを持ちかけてくるが、ダハールさんは、「家族の歴史がある大地は自分の母と同じあるから、母を売ることはできない」と、きっぱり断る。
ダハールさんの息子さんは語った。
迫害を受け続けた人の対応は3つある、と。
1)対立に対して暴力で応戦すること。
2)泣いてあきらめること。
私たちは、この2つは選択せず、第3の道を選択する。
それは、、「破壊に対しては何度でも再建する。敵になることを拒否し、人と人の間に橋をかける。」だった。
ナハリーン一家は、徹底して祖父の遺言を守り、争わない。
これは、帰国後、知り得たことだが、ある日、心あるイスラエル人の人たちがやって来た。その人たちに、先述した、入植者達に250本のオリーブの樹を引き抜かれたことを話すと、後日、その人たちがまたやってきて、懺悔の気持ちからだろう、260本のオリーブの木を植えていったとのことだ。
現在、テント オブ ネイションは世界から注目され、毎年、各地から、ボランティアで農作業の手伝いや、子供達のためのワークショップ等が開かれている。昨年は2000人が訪れたとのこと。私たちは、この日、草取り作業に従事した。数十年ぶりにツルハシを握り、久しぶりに肉体労働をする。気がつくと手に豆ができて、少しヒリヒリする。それが、何だか、少し誇らしい気分になった。炎天下の作業が一時間ほどたち、喉が乾いたころ、突然、広い傾斜地にある農場一帯に響く程、ダハールさんの大声が聞こえる。「ワンダフル!ワンダフル!!!」と連呼しながら、畑から捥いできたばかりの葡萄を、何人かの人に手渡す。回ってきた、その葡萄を頬張ると、、美味い!!
作業が終わると、涼しげなテラスで休憩した。最後の晩餐の絵に描かれあるような大きなテーブルを全員で囲み、美味いお茶を飲んだ。一息ついたころ、誰かが、アースキャラバンのテーマ曲、“SHERE  tha Oneの一部替え歌”を口ずさむ。しばらくすると、一人、、二人と加わり、間もなく全員の合唱となった。奥に居たダハールさんが現れ、また「ワンダフル!ワンダフル!!、、ワンダフル!!!」と破顔の笑顔で叫ぶと、一緒に歌った。「♩Be free〜 parestain〜 parestain〜Be free〜〜♪、、、』 私、こんな親父が欲しかった!