タオ指圧は人を大事にし命懸けでする。

執筆者 | 5月 21, 2014

タオ指圧の創始者、遠藤喨及師の著書を初めて見たのは、2000年8月のある猛暑日だった。

あまりの暑さに駅前の涼しげな本屋に飛び込んだ。

その頃の僕はようやく本気で本物の治療法を探して、図書館や本屋をさまよっていたので、とりあえず本屋に入ると、足は健康関係のコーナーに回る。本棚に並ぶタイトルを一通り眺める。その日も相変わらず、いつもと同じ顔ぶれだ、眺めていた、。その時突然、目を疑うような驚くタイトルが目に飛び込んできた。【気と経絡」癒しの指圧法“決まった位置にあるツボなどない”】著者名を見た時に、うん?・・どこかで見た名前だ、、が、すぐに思い出せず、とにかく気になってしょうがない“決まった位置にあるツボなどない!”という天地をひっくり返すような本を手に取りページをめくった。そして、CDも出している指圧師と記されてあり思い出したのだ、。

その一週間ほど前、同じ団地に住むIさん宅に出張指圧に出かけた。Iさんは、建築図面を機械で描く仕事をされていて、いつもひどい肩凝りと目が疲れて、休前日にはほとんどお呼びがかかった。

いつものように、持参したヒーリング系のCDをかけてもらおうと渡そうとしたら、「すみません、今日は私のCDをかけてやってもらえますか?」と言われた。もちろんOKした。

どこかわからないが遥か遠いところから聞こえてくるように静かな笛の音が流れてきた。今まで聞いたこともないよう曲でもあり、昔どこかで聞いた懐かしい曲のようでもあったその旋律に、いつしか私の一挙手一投足から力が抜けていくような気がした。なんだか施療がいつもよりスムーズに行き、不思議な感覚だった。

終わってお茶など頂きながらIさんにCDの解説書を見せていただいた。「ウォーター・プラネット」というタイトルだった。作曲者は、遠藤喨及、、気の指圧師、と記されている、、その時はマジで、気の指圧師?!何か怪しげなことする人か?!とも思った。でも「CD、、いいですねエ〜!」とIさんに伝えると「よかったら貸しますよ」と言ってくださり、お借りした。自宅に戻り、しばらく聴いていた。

本をめくりながら、あのCDの人だ、、やっぱり、指圧をする人か、、ふ〜ん、、え〜〜?!うん、うん、なるほど、、ふ〜ん、すごいなぁ、!!私は、すっかり内容に引き込まれしまい、、気がつくと汗はとっくに引き、クーラーで冷え過ぎた店内でブルブル震えながら立ち読みしていた。そんなに寒けりゃとっとと買って帰りゃいいのに、。それが、そう簡単に買えなかった。というのも、それまで僕はカイロプラクティックやら指圧、整体やら鍼灸の諸先生方の本を、うんざりするほど買っていた。しかし、僕にとって、コレだ!!っていうのに出会いはなかった。だから、自分の本心にぴったりするような本じゃなけりゃ、もう絶対に買うもんか!それぐらい警戒心が固まっていた。

やがて不思議なことにクーラーの冷気で冷えきった身体とは逆に、頑な心に暖かい春の陽射しがあたり、警戒心の固まりが溶けてきたような感覚になっていた。

二時間も経ったころか、とうとう冷気に負けて立ち読みを諦め、そして、“もう二度と他の先生の手技療法の本を買うことはあるまい”と誓ったのだった。やっとホンモノに出会えた喜びで満たされ炎天下の外に出た。真っ青な夏の空が広がっていた。

私は、その一年半ほど前に中国の先生が教える整体の学校を卒業し、出張施療を一人ほそぼそとやっていた。たいていの人はリラクゼーション目的だが、中には西洋医学では治らず、どうしていいか解らず、なんとかなりませんか、、などと切実に訴える人にも会う。こちらも中国の先生に習った知識と技術でそれなりに頑張った。が、しかし、心のどこかで、この方法で果たしてほんとに治るのか?

正直、無理だ、そう思ってしまうのだった。そして情けない話しだが、なるべく、軽い症状の方から依頼があるように願っていた。ところが、、なんだか願いとは裏腹に重篤な方に出会う機会が増えてきた。もう、この治療法じゃ無理だ、見切りをつけようと思った。そして、やっと本気なって、苦痛を取れるホンモノの治療法を探し始めたところ、喨及師の著書と出会った。

 

数日の間、まるで熱病にかかったみたいに本を読み直し、タオ指圧、タオ指圧、、この治療法を何としてでも身に付けたい、、他は考えられない!と毎日一人で興奮していた。
そうして、クラス参加を申し込み、念願かなって2001年1月5日、初めてクラスに参加させていただくことになった。

当時は、東京タオサンガセンターはなく、都内のどこかの区民館が教室で、その日は下町風情が残る新川区民館だった。タオ指圧クラス初参加の前夜は運動会の前の晩のようになかなか眠れなかった。朝早くに家を出て、緊張しててやっと辿り着いた。まだ誰もいないか、と会場に目をやると広い和室の奥に一人の女性が座っていた。どこかで見たお顔だった。そう師の著書「タオ、気の身体を癒す」に載っていた、あの方だ。私に気づくと「こんにちは!」と微笑まれた。喨及師の奥さんで初伝クラスの指導者、遠藤磨祐(まゆ)先生だった。

あの時の生徒数は確か30人位はいただろうか満員御礼だった。授業が始まり、緊張も解けてきたころだった。「どなたか、受け手になっていただけますか?」と磨祐先生。私は、手を挙げ、先生の前に進み横たわった。その時、昔やった、ぎっくり腰の痛みが奥に残っていたのだ、初めてのタオ指圧を体験できる嬉しさと期待感でドキドキだった。
その古傷のある腰の奥にタオ指圧する磨祐先生の指が深く入ってきた。わずか一秒か二秒の出来事だ。整体の中国の先生に圧してもらった時も気持ちよかった。その時の圧は、それまで、受けたカイロプラクティックや整体、マッサージの圧と全く違った。ただ気持ちがいいなってもんじゃない、どんな言葉で表現できない。とてもそんなもんじゃない。不思議な圧だった。「人」に触れられているという気がしない、、「普通の人」がここまで優しさと厳しさを持って圧せないだろう、。

もう一圧、、、さらに深く入ってきた。そして、不意に涙が出てきた。ワケがわからず慌てた。バレないように顔を隠した、、そして、ふと、浮かんできた言葉が「命懸け」だった。縁あって目前に居る人を大事にし、命懸けで一圧する。陳腐な言い方だが、そんな気がしたのだった。

 

私のためにそこまでしてくれるなんて、、、それに感動し目頭から汗が吹き出したのだった。

私は、その時、あの炎天下、本屋で喨及師の本との出会いは奇跡のように思え、人生を変えるための神仏からのプレゼントだと思った。

そして、何年かかっても、何が何でも、タオ指圧の施療家になりたいと、強く強く思った。