もどってきた「自分の身体」

他人のような身体

初めてその方が施療を受けにいらしたときの主訴。それは、臀部から太ももにかけての“ひりひりするような痛み”でした。
また、手の指の関節が痛いという訴えもありました。
立った姿勢のまま、手先を使う仕事をされているとのことなので、その疲れが出ているのかなと思いましたが、どうもそれだけではないようにも感じました。
触れさせていただくと、全身がとても固く、そして冷たく感じられました。
また、このときの施療では、心地よい響きはあまり感じられなかったようでした。
あとになってご本人から伺った話で、印象的なことが二つありました。
1つは、足の施療があまりに痛かったので、心の中で「ごめんね」と、足に言ったそうです。
けれど、足からは「私は絶対許さない」という声が聞こえてきた、ということ。
それから、下腹部と、腕の付け根の施療のときに、「ここは自分ではなく、他人の身体のような感じがする」と話されたことです。
施療を続けていくなかで、少しずつご自分のことを話されるようになりました。
高校生のときに、同級生から身体のことで心ない一言を言われて、とても気にするようになったこと。そしてそれ以来、引きこもりのような状態になってしまった。
さらに、そのことで家族からも傷つけられるような態度や言葉を言われて、ずっと心を閉ざして生きてきたこと。そして、自分で自分の身体を責め続けてきたこと、など。
私は、彼女が自分の身体を他人のような言葉で表現するのには、このような理由があったからなのだと思い、とても痛ましく思いました。
自分を自分として大切に思えない気持ちでいるということ。そして、そうすることでしか自分でいられないということは、どれほどつらいことでしょうか。
私は仏さまが、その方を優しくしっかりと包むように触れて下さり、その方の心の痛みが、仏さまによって溶かされることをイメージしながら、施療を続けました。
そして、この方の全存在が仏さまによって愛されていると意念し続けました。

「痛み」から「心地よい痛み」へ

はじめの頃、施療ではかなりの痛みを感じたそうです。
その後は、心地よい痛みへと変わり、響きの拡がりが感じられてきたそうです。
そして、自分の身体という感覚が現れ、体全体がひとつにつながっている感じが生まれてきた、と話されていました。
最近では笑顔も多くなり、施療のあとには、以前よりもっとたくさんご自分のことを話されるようにもなりました。
さらに、子どもの頃のことも多く話してくれるようにもなられました。子どもの頃は明るく活発で、自分を自由に表現しされていたそうです。
誰もが本来的に持っている、輝いている自分や本当の自分らしさ。
私は、患者さんがそのような自分を表現をされるようになるのを見ると、心から嬉しくなります。
彼女の人生が、もっともっと幸せに拡がっていくことを心から願いつつ、これからも臨床を続ける所存です。

後藤光妙 (中野・東京)

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