15年目の東北巡礼 ― 痛みの向こうの、深いやさしさ

7月6日から12日まで、Aminadabuで東北ツアーを行いました。
東日本大震災から15年目となる今年、「希望の火」を携え、亡くなられた方々への慰霊と、世界平和への祈りを捧げる巡礼の旅です。

今回のツアーは、岩手県一関市在住で、「希望の火」アンバサダーでもあり、タオ療法の生徒、そして地元で舞踏を教えておられるミミィさんが企画してくださいました。

また、インドとブータンから来てくれた2人のお坊さんと、チベット支援をしているタイ人の学生も参加し、国際色豊かなメンバーとなりました。


(⇧東北に出発する前、東京のお寿司屋さんにて)

 

僕は震災以来、今回初めて東北の地を訪れました。

震災当時は、タオ指圧の仲間と街頭募金を行い、NPOアースキャラバンでチャリティーイベントを開催し、集まった義援金で気仙沼・唐桑町へ洗濯機や生活物資を届けていました。当時、東京クラスに通われていた方とのご縁がきっかけでした。

けれども当時、自分自身が現地へ足を運ぶことはありませんでした。


(⇧NPOで送った冷蔵庫。当時の写真)

 

今回、南相馬市や気仙沼など、当時毎日のように耳にしていた町を訪れました。

新しく築かれた防潮堤。
あちらこちらに立つ「売地」の看板。

復興が進んでいる一方で、15年という年月を経てもなお、震災の傷跡が静かに残っていることを感じました。

気仙沼の清涼院では、高台にあるお寺が避難所となり、100人を超える方々が何か月も共同生活を送られていたそうです。

演奏をした本堂から海はずっと遠くに見えました。それなのに、「あの日はこのお寺の近くまで津波が来たんですよ」と伺い、言葉を失いました。


(⇧気仙沼・清涼院本堂からの眺め。真ん中奥が海。結構離れているのに・・・。)

 

そして副住職が何氣なく語られた、

「当時の記憶は、あまりないのです。」

という一言。

その言葉に、何よりもリアリティを感じました。


(⇧気仙沼・清涼院にて。希望の火のランタンを持っているのが、副住職の正道(しょうどう)さん)

 

唐桑半島では、当時アースキャラバンの仲間が支援活動をしていた避難所になっていた学校も訪れました。

「あのとき送った洗濯機が、ここで使われていたんだ。」

そんな情景が自然と心に浮かび、15年前と今が一本につながったような、不思議な感覚になりました。


(⇧唐桑半島突端。ここも当時避難所になっていた)

 

そして何より印象に残ったのは、東北で出会った方々のやさしさでした。

どの方も本当に温かく、そのやさしさに、とても深いものがあることを「氣」として感じていました。

パレスチナで出会った人々にも共通することですが、人は耐え難いほどの痛みを経験したからこそ、人にやさしくなれるのかもしれません。

悲しみが深いほど、その悲しみを知る人のやさしさも深くなる。

そして私たちは、経験した出来事は違っても、「痛み」というものを通して、互いにつながることができます。

「希望の火」は、そんな誰もが心の奥に抱えている痛みにそっと灯り、

人を癒やし、人をつなぎ、心を少しずつ温めてくれました。


(⇧岩手県一関市・藤源寺にて。希望の火に祈りを込める)

 

15年という歳月を経て、テレビの向こう側の出来事だった震災が、ようやく僕自身の中で現実のものとして感じられました。

ライブでは亡くなられた方々への慰霊を祈り、東北の方々の幸せを祈り、そして世界中の生きとし生けるものの平安を願って、声明と演奏を捧げました。

共にマントラを唱え、聴衆と一つになり、笑顔で踊る場面も一度や二度ではありませんでした。

不思議なことに、祈れば祈るほど、その場は深い癒やしの氣で満たされていきました。

そして、祈っている僕自身の心もまた、静かに癒やされていくのを感じました。

 

世界中の生きとし生けるすべての命に、癒やしと平安が訪れますように。

南無阿弥陀仏

 

馬場 山往



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