「大いなるもの」に生かされて

 

今回は、「がんが癒されていく過程の中で、人生が変わる体験」をされている、タオ療法の患者さん(S.Eさん/女性)が書いて下さった手記です。


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「大いなるもの」に生かされて

初めてタオ療法の施療を受けたのは、いまから13年前でした。
身体中の凝りが辛かったためです。

私は、もともと日常の中で感じる不安感や、恐れが強かったと思います。
平気なふりをしていても、過度な緊張が身体に表れているようでした。
1年程通いましたが、忙しさから通えなくなり、数年が経ちました。

その数年後、大腸がんがわかり、手術をしました。

そして、そのすぐ後に、乳がんも発見されたのです。

私は、もう、これは、西洋医学ではなく、根本的に、食事、生活、生き方を見直さなくてはならないと思いました。2019年、自ら治していくために、根本療法のクリニックに通いはじめました。

自分で良いと思うことは全てやって、精神的には安定し良い状態でしたが、癌はその後も進行し続けました。

1年半後には、乳がんが、表に出て大きくなり、どんどん痩せ、強い痛みが24時間続くようになりました。
自分で治せると思ってきたけれど、もう無理だと限界を感じました。

2021年、西洋医学の先生に相談に伺い、話をし、信頼して治療を完全にお任せすることにしたのです。
このとき、癌は、肝臓にも転移し、ステージ4になっていました。

まず、乳がんの手術に向けて、抗がん剤が、スタートしました。
抗がん剤の副作用は想像以上に強く、肉体的にも、精神的にも、様々なダメージがありました。
しばらくすると、自律神経がおかしくなり、夜に全く眠れなくなってしまったのです。

西洋医学を選んでいる私を、施療していただけないのではと思いましたが、中河先生にお会いし、タオ療法を再スタートすることになりました。

タオ療法を受けていく中でも、抗がん剤治療は継続しており、その影響は様々に出ていたと思います。
ですが、施術を受けていく中で、徐々に抗がん剤の影響は最小限になり、まず眠れるようになりました。そして、精神的に安定して過ごせるようになってきたのです。
驚くほど癌細胞は小さくなり、無理だと言われていた手術ができるほどになりました。

しかし、乳がんの手術のため、タオ療法は、中断することになりました。

乳がん手術後も、抗がん剤治療、続いて肝臓がんの手術、放射線治療、抗がん剤と2022年まで治療は続きました。「この状態だと治ることはない。一生治療を続けると考えてくださいね」と言われていましたが、経過観察に移ることができました。

乳がんで、リンパも切除したため、浮腫を防ぐために、マッサージ等は避けてくださいと言われていました。
タオ療法の再開は無理かとあきらめていた矢先、中河先生からご連絡をいただき、相談させていただきました。そして、2023年からタオ療法を再開させていただくことにしました。

再開後は、これまでと違い、精神的な「めんげん反応」が強く表れるようになりました。
まず、「痛み」を、強く感じるようになりました。
そして、心身が、抵抗していると感じられる反応が、しばらく続きました。
その後、だんだん、心身が、施療を受け入れることができるようになっていきました。

そうすると、今度は、以前からあったものの、表立ってでることはなかった「母との関係性の問題」が、強く表れ出してきたのです。

とにかく、母が憎くて、どうにもならないのです。
このままでは母を殺してしまうと感じたり、こんな自分はもう完全に狂っていると感じられたり、精神科に行かなくてはと、居ても立ってもいられない状態になったり、、。

それでも、少し正常な部分では、「これはもしかすると(タオ療法の)めんげん反応かもしれない」と感じ、「次の受療日まで待ってみよう」と思うことができました。

綱渡りしながら、何とか日々を過ごす状態になりました。

そのなかで、まず気づいたのは、「わたしはずっと死にたいと思っている」ということでした。

そんな心の状態では、病気(がん)にもなるし、タオ療法を受けつつ抵抗もするのは、当然だと思いました。

また中河先生との対話から、「朝起きた時から、ドンと重くつらい」こと、「夢や、希望などない」と思っていることにも、ハッとさせられました。

それから、自分の治療の選択や、母との関係など、これまでずっと、全ての場面において、「善い・悪い、正しい・間違いで物事を見て、そこに縛られていること」が、浮き彫りになってきました。

それらに気づいていきながら、タオ療法を続けました。気づくと、少しずつ身体も心も、楽に、解放されていったように感じます。

今、母との関係には、適切な距離ができ、あんなに憎んでいたのに、今は、愛おしく感じられるようになりました。そのことが有難くてたまりません。

ずっと感じ続けていた、心身の重さや、辛さ、苦しさも、気づけば、今はありません。

気づくと、側にいてくださった中河先生、そして、大いなる存在に、心から感謝いたします。

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私が、Sさんに初めてお会いしたのは、彼女が、乳がん手術のための抗がん剤投与をされているさなかでした。

抗がん剤の作用で、夜眠れなくなり、精神的に不安定になっている状態でした。

ところでSさんから、「西洋医学の手術、治療を選択している自分は、タオ療法を受けてもよいのでしょうか?」と、質問されたことがあります。

Sさんは、すでに、手術をすることを決められていました。だから、「タオ療法を受けて、少しでも気持ちが安定して楽になるのでしたら、ぜひ通ってください」とお伝えしました。

その後、手術、抗がん剤、放射線治療を終え、二年半ぶりに、ふたたび、タオ療法に通われるようになりました。

しかし、手記の中にも書かれているように、むしろ、ここからが、精神的にも、きびしい道でした。

それは、たとえがん細胞が手術で取り除かれても、真の原因である「気」や無意識に潜んでいるネガティブなものは、そのままだったのですから、、。

毎回、毎回の施療は、抗がん剤の影響が強く残るSさんにとって、決して楽なものではありませんでした。とてもきびしいものたったと思います。私には、ひとつひとつの細胞が収縮し、冷えきっているように感じられました。

少しずつ少しずつ、Sさんの心がゆるんでいき、薄皮を剥ぐように細胞に氣が通いはじめていきました。

ある日、あまり自分のことは話されないSさんが、「私は、ずっと死にたいと思って生きてきました。実は、ガンになったとき、これで死ねると思って嬉しかったんです」とお話しして下さったことがありました。

私は彼女が「より良く生きたい」と思われて来たんだ、と思いました。「過去の自分と決別して生まれ変わりたいのだ」と。そうしてSさんは手術を受け、タオ療法に来られました。

ずっと死にたいと思っていた自分に向き合い、生まれ直すこと。

それは、その人にしかできない、孤独な営みです。そして英雄的な行為です。

私はそんなSさんの人生の復活に立ち会えたことに感謝しています。

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